2017京都の節分 釘抜地蔵
釘抜地蔵は、正式名称は家隆山光明遍照院石像寺といい、元々は空海が建立した真言宗のお寺でしたが、後に俊乗坊重源が浄土宗に改めました。本尊の地蔵菩薩は、空海が唐から持ち帰った石を刻んだとされている像で、この地蔵は苦しみを抜き取るということから苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれ、それがなまって釘抜地蔵と呼ばれるようになりました。千本通から入口には、一昨年は今西錦司、昨年はダライ・ラマの言葉が掲げられていましたが、本年はお経の言葉が掲げられていました。、
元々は空海が建立した真言宗のお寺あったため、弘法大師空海を祀ったお堂が境内にあります。
また、本尊の地蔵菩薩が納められた本堂の後ろの小さなお堂に、浄土宗特有の石像の阿弥陀如来、脇待の観音、勢至の両菩薩が納められています。
その他にもたくさんの仏様がいらっしゃり、また境内の稲荷社には玉姫大明神も祀られています。
釘抜地蔵の通称は、次のような逸話に基づいています。商人の紀ノ国屋道林という人が、ある日、両手が激痛に襲われ、いくら治療を施しても全く効果がなかったので、石像寺の地蔵尊に日参して祈願したところ、満願の夜に地蔵尊が夢枕に現われて「そもそもの痛みの原因は汝が前世で人を怨み、人形を作って、その両手に八寸釘を打ち込んで呪った罪が今になって自分の身に降りかかってきたのだ。だが、その方の熱心な信心に免じ、昔の“怨み釘”を抜いてやろう。」と2本の釘を両手で抜く仕草をされました。ほどなく夢からさめると、手の痛みはすっかり消え、歓喜した道林が、早速石像寺にお礼にやって来ると、地蔵尊の前に、血に染まった2本の八寸釘があったといわれています。以来、あらゆる病気は身体に釘が刺さったことによると考えられるようになり、その釘を抜いてもらおうと病気治癒の祈願に訪れる人が絶えず、釘抜地蔵と呼ばれるようになったとのことです。
釘抜地蔵の節分の特徴は、厄除だるまを授与することです。まずは、昨年いただいた厄除だるまを納めます。 厄除だるまを納めた後に、隣の建物に入りお寺の方から本年のだるまを授与してもらいます。だるまは他のお寺でも授与している一般的なものですが、釘抜地蔵尊のシールが裏面に貼られ、お寺の方がその場で厄除けする人のかぞえの年齢と性別を書き、授与します。その行為にありがたみを感じるのか、多くの人が招福厄除だるまを求めていました。
今回の釘抜地蔵の節分は、いかがだったでしょうか。次回は、吉田神社の節分をお届けいたします。京都より中島の報告でした。
はーとべるツアー
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