美濃岩村城 女城主の城
皆様、本日は朝は晴れていましたが、午後からは少し天気が崩れそうですね。健やかにお過ごしでしょうか。今回と次回で恵那市の古い城下町、岩村について書いてみます。岐阜県恵那市にある岩村は歴史ある城下町で、車で直ぐに行くことができます。近距離であるためか、飯田の人はあまり訪れる場所ではないようです。
岩村城は、奈良の高取城、岡山の松山城とともに、日本三大山城の一つに数えられていますが、女城主の城としても知られています。武田信玄と織田信長が覇を競った時代に、夫の城主が病死した後に織田信長の叔母にあたる妻のおつやが、信長の五男を養子に迎えて城を守っていました。武田信玄の武将の秋山信友に攻められ信長の救援も望めない中で、おつやは秋山信友の妻になり武田方になることで無血開城し領民を守ります。長篠の戦いで武田勝頼が大敗した後に織田に攻められ落城し、おつやは最後には裏切り者として織田信長に処刑されてしまいます。岩村ではそんなおつやの故事にならい、岩村を女城主の里といいます。岩村城山城址歴史公園は、岩村城址の麓の藩主邸跡にある歴史公園です。公園内には岩村のシンボルである復元された太鼓櫓や岩村歴史資料館や藩校知新館の正門があります。
ここから徒歩で本丸まで登る道があり、標高にして約100メートル、距離にして800メートルを歩いて上ります。
少し上ると岩村出身の教育者で歌人の下田歌子にちなんだ建物と石垣が見えてきます。
更に上って行くと、最初の城門に辿りつきます。
初門の先にある標識を見ると、距離にして500メートル、高さにして87メートル上る必要があります。こうした標識が所々にあり、道標の役割を果たしています。
更に上ると2番目の門があり、岩村城の別名霧ケ城の由来ともなった井戸があります。
更に進むと、ようやく追手門に到着です。
ここから六段壁という岩村城自慢の城壁を登ると本丸です。
本丸は広い平らの場所ですが、ここにも井戸があり、眺望が抜群です。
本丸跡に立ち、女城主に思いをはせる中島でした。次回は、岩村の町並みをお届けいたします。岩村より中島の報告でした。
岩村城は、奈良の高取城、岡山の松山城とともに、日本三大山城の一つに数えられていますが、女城主の城としても知られています。武田信玄と織田信長が覇を競った時代に、夫の城主が病死した後に織田信長の叔母にあたる妻のおつやが、信長の五男を養子に迎えて城を守っていました。武田信玄の武将の秋山信友に攻められ信長の救援も望めない中で、おつやは秋山信友の妻になり武田方になることで無血開城し領民を守ります。長篠の戦いで武田勝頼が大敗した後に織田に攻められ落城し、おつやは最後には裏切り者として織田信長に処刑されてしまいます。岩村ではそんなおつやの故事にならい、岩村を女城主の里といいます。岩村城山城址歴史公園は、岩村城址の麓の藩主邸跡にある歴史公園です。公園内には岩村のシンボルである復元された太鼓櫓や岩村歴史資料館や藩校知新館の正門があります。
ここから徒歩で本丸まで登る道があり、標高にして約100メートル、距離にして800メートルを歩いて上ります。
少し上ると岩村出身の教育者で歌人の下田歌子にちなんだ建物と石垣が見えてきます。
更に上って行くと、最初の城門に辿りつきます。
初門の先にある標識を見ると、距離にして500メートル、高さにして87メートル上る必要があります。こうした標識が所々にあり、道標の役割を果たしています。
更に上ると2番目の門があり、岩村城の別名霧ケ城の由来ともなった井戸があります。
更に進むと、ようやく追手門に到着です。
ここから六段壁という岩村城自慢の城壁を登ると本丸です。
本丸は広い平らの場所ですが、ここにも井戸があり、眺望が抜群です。
本丸跡に立ち、女城主に思いをはせる中島でした。次回は、岩村の町並みをお届けいたします。岩村より中島の報告でした。
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